HPを作ってみた
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初めてのHPを作成
私は今年の1月に設計事務所を地元所沢で開業した。私は一昨年の年末まで長谷川豪建築設計事務所に8年半ほど在籍した。去年1年は休養ということで、特に働いたりせず過ごした。なぜすぐ独立しなかったというと特に理由はない。なんとなくだ。でも、すぐに独立する気にも自分一人で設計する気も起きていなかったのは確かで、まあ一年ぐらい何もしなくてもいいかなと思い、2020年は休養時期として過ごした。また、ちょうど私が事務所を辞めてから直ぐにコロナ渦となり、小説『ペスト』の登場人物コタールよろしく、あまり後ろめたさを感じずに私は休養期間を過ごせたように思う。このあたりの話しはまたいつか書ければいいなと思っている。
去年の年末あたりから、いよいよ自分の設計事務所を開こうと思い行動を始めた(行動を始めたというと凄くカッコいいことをしているような気分になる)。物件を探したり、事務所登録をしたり、ポートフォリオを作成したり、名刺を作成したりという至って地味な作業だ。そんな地味な作業の一つにHPの作成がある。
設計事務所のスタッフとしての実績はあれど、一人の建築家としてはまだ実績が無いので、自己紹介をする時に非常に困る。特に建築界隈以外の方に自己紹介するくだりになると、どう自己紹介すればいいのか非常に困っている。取り敢えず今は簡単な自己紹介と一緒に渡している名刺に、去年の年末作成したポートフォリオを閲覧できるQRコードを掲載して、一応長谷川事務所時代の担当作品や個人での作品を見られるようにしている。
あとはやっぱりHPだ。
私も何か知らないことがあるとまずHPがあるかどうかを検索する。設計事務所の場合、設計事務所の代表者の経歴とか作品が載っていることが多い。口頭で自己紹介する場合、あまり詳しく経歴などを伝えることが難しいので、名刺にHPのURLを掲載しておいて、興味のある方に閲覧してもらうという点でHPは非常に便利だ。
そんな訳で私も初めてHPなるものを作成した。アナログ人間なので、WEB製作にはもちろん通じていない。友人の話しや検索によると、「ワードプレスが一番簡単っぽい」ということで、私もワードプレスでHPを作成した。そのHPまさにこのページだ。
素人仕事なので、洗練しきれていないのはひとまず目を瞑って欲しい。
(ちなみに、この話しもまた別に記事にしようと思うが、私は設計事務所と一緒に私設図書館を整備する予定た。整備先は西武池袋線「西所沢」駅から徒歩3分程度に位置する木造二階建ての「吉祥荘」という建物の二階だ。二階にはすでに「サタデーブックス」という古本屋が入っている。この「吉祥荘」で設計事務所及び私設図書館を整備する経緯は今回省略する)
他の設計事務所のHPを参照した
素人仕事ではあるが、他の設計事務所のHPは多少参照した。以下、参照したHP(順不同)。
・株式会社長谷川豪建築設計事務所
・ノウサクジュンペイアーキテクツ
・大庭早子建築設計事務所
・山本周
・オーノJAPAN
・フジワラボ
・株式会社髙橋一平建築事務所
・HAGISO
・株式会社HAGI STUDIO
・AAOAA
・中川エリカ建築設計事務所
・株式会社アール・エフ・エー
・ムトカ建築事務所
・オープンサイト建築設計事務所
他にも色々見たが、最初に見たのは大体こんなところだ。ピックアップした理由は下記のいずれかに当てはまるかと思う。
1. 自分と関わりのある、あった事務所
2. 小中規模の事務所(スタッフが10人以下程度と思われる)
3. 運営方法で参考にした事務所
4. 以前何かの機会にHPを見て、記憶に残っている事務所
この中でも特に2は大きな参照理由の一つだった。というのも、そんなに規模の大きな事務所でなければ私の場合と同様に、事務所が自前でHPを用意している可能性が高いと思ったからだ。きちんとWEB製作をデザイナーに委託している場合だと、私が参照するにはレベルが高すぎて参考にならないと考えた。いくつかの設計事務所のHPを参照したところ、HPの構成は大体こんな感じだと思う。
・ABOUT:事務所の概略や代表の建築家の経歴
・WORKS:事務所の作品紹介
・CONTACT:事務所への問い合わせ
この通り至ってシンプルである。ABOUTでは建築家の経歴がテキストベースで掲載されている。WORKSでは設計事務所それぞれの作品がカッコいい写真で掲載されるので、なんとなくHPもそれなりにカッコよくなっているように思う。ここまでは私もあまり悩まずに作成できる。
問題はCONTACTである。基本的にCONTACTでは将来的なクライアントとなってくれる方がこちらに問い合わせをしてくれることを期待している。参照している事務所のHPのCONTACTは非常に淡白であることが多い。「うちの事務所に頼めばこういうことができますよ」という簡単な説明(建築、家具、都市計画などの設計提案を行いますというような内容)や、問い合わせをする際に記載して欲しいこと(スケジュールや予算、候補地など)が記載され、あとはメールアドレスだけというものが多い。最も淡白な事務所としては、我が古巣である長谷川事務所もその一つで、ただ連絡先のメールアドレスが記載されているだけだ。
しかし、クライアントにとっては決して安くはないであろう設計料を払うことになるかもしれない問い合わせであるにも関わらず、あまりに事前情報が少ないように感じる。正直不親切であることは否めない。また、特にクライアントが個人である場合、設計依頼をすることに慣れていないことが想定され、依頼をする際にもどの程度の情報を開示すればいいのか分からず、どう問い合わせの内容を書けばいいのか悩むことだろう。
私が参照した設計事務所の中で明確に業務フローや設計料を掲載しているのはオープンサイト建築設計事務所である。ここまで明確にフローや設計料が記載してあるとクライアントの相談への心理的ハードルはグッと下がるように思う。
とはいえ、今回私はCONTACTの内容で参考にしたのはAAOAAだ。業務フローや設計料は明確に記載されてはないが、CONTACTのフォームを設け、ある程度問い合わせのサゼッションをしている点が好ましく感じたからだ。
オープンサイトの業務フローはオーソドックスな設計事務所のフローとしてはとても参考になる。しかし、私はスタッフ時代にこのオーソドックスな業務フローに乗らない案件を担当することが多々あったため、先に業務フローを固定して提示しない方がベターと思い、オープンサイト方式を採用しなかった。多分、業務フローを提示していない事務所の中には私と同じように、業務フローをケース・バイ・ケースでクライアントと相談して決めたいと考えた事務所が多いと思う。とはいえ、多少どのように問い合わせをすればいいのか誘導できるようにしたいと思い、AAOAA方式を採用した。
まあ、細かい理由は上記の通りなのだが、この時私が明確に意識したのは「HPをどこまで分かりやすくするか?」だった。
なんとなくHPはめちゃくちゃ分かりやすくすればいいように思うが、私はその選択にあえてブレーキをかけていることを自覚した。
ちなみに長谷川事務所のHPは外部の方からはめっぽう評判が悪い(以前長谷川さん本人が言っていた)。評判が悪い理由は見づらい、分かりづらいということだ。長谷川事務所のHPは先ほどのABOUT、WORKS、CONTACTのページが分かれておらず、トップページに全ての情報が記載されており、その情報の文字も小さい。肝心なWORKSも見れないのかと外部の方は思われるに違いない。しかし、実はWORKSの作品名の文字をクリックするとトップページの背景がその作品になる。もう一点付け加えると、トップページの最初に表示される作品はトップページにアクセスや更新をするごとにランダムで表示される。このような感じで説明する必要があるぐらい、超分かりづらい。
しかし、一応分かりづらいことは承知の上でHPはこのままにしている。以前このHPについて淵上正幸さんがインタビューの際に長谷川さんに指摘している。私も久々にその記事を見ようとしたところ該当ページはすでに閲覧できないようで、非常に残念だ。
自分の記憶を頼りに当時のインタビューを思い出すと、超ざっくりだが「世界の有名な建築家の事務所のHPほど簡素なものが多い。長谷川さんもその点が共通している」と淵上さんが指摘していた。その際に例に挙げていたものの一つがSANAAだったと思う。
数年ぶりにSANAAのHPを見ると長谷川事務所を超える淡白さだ。情報がほとんどない。多分私の学生の頃から変わっていないように思う。世界のSANAAとなれば、このHPでも成り立ってしまうことに、むしろ痺れてしまう。是非、見て欲しい。
ついでに西沢立衛建築設計事務所も調べる。私は大学生の時に西沢立衛事務所にオープンデスクとして通っていた時期があるのだが、オープンデスク希望の連絡をする際にあまりの情報の無さに恐る恐る連絡をしたことがあるので、こちらも数年ぶりに確認する。当時とHPは多少変わっていたが、淡白さ加減はほぼ同じである。ついでに言うと、長谷川事務所にスタッフ希望の連絡をした際も同様に、あまりの情報の無さに恐る恐る連絡した。
淵上さんにHPの点を指摘され、長谷川さんがどのように答えたかまでは覚えていないが、指摘されたことを受け、より自覚的に今のような淡白なHPを維持しているように感じる。
淡白なHPを維持する理由はHPのクオリティで建築家としての価値を測られたくないといことがあるように思う。SANAAや長谷川事務所ほどでなくとも、建築家としての価値は作品を見て判断して欲しいという意識があると思う。そういう意識のもと、あまり自己開示、情報開示していないHPが多くなっているのではないか。
HPの分かりづらさ、見づらさがHPでの建築家の自己開示のしなささと必ずしもイコールではないが(例えばHPは見やすく、分かりやすいが建築家の自己開示があまりされていないという場合もおおいにありうる。まあ、何を分かりやすいとするかによるのだが)、HPが分かりづらく、見づらくなるのはやはりHPへの興味の薄さがあるように思う。
ウミネコアーキ代表の若林さんのツイート
そして、長々となぜ私がこんな記事を書いたのかというと、実はここからが本題である。数日前にこんなツイートを見かけた。
こちらはウミネコアーキ代表の若林拓哉さんがツイートしたもので、100以上の「いいね」をされており、関心の高さが伺える。というか、このツイートを見て私もこの記事を書いているので私本人も関心がある。ちょうど自分がHPを作成しているところだったので関心を持たざるをえない。
そしてこのツイートに対して後藤連平さんがこのように反応している。
後藤さんの指摘は概ねその通りのように思える。若林さんも先ほどのツイート以降も連投ツイートをしており、その中で「建築家たちの仕事の受注は非常に受動的な体系」となっているのではないかと指摘している。その点も確かにその通りであると思う。
しかし、私はそこに一つの視点を更に付け加えたいと思う。それは「会社」であるか「個人」であるかだ。ここでは業務運営的な「法人」であるか「個人」ではなく、その設計事務所が「会社」を押し出しているのか、「個人」を押し出しているのかだ。
若林さんが例にあげている成瀬・猪熊建築設計事務所は例外であるが、他の例では個人名が入っている事務所はない。成瀬・猪熊も完全な個人ではなく、ユニットである。会社の名前に個人名が入っているか、入っていないかの違いは大きいように思う。
(付け加えると、私が参照したHPではAAOAAは明確にヴィジョンを掲げている。フジワラボもヴィジョンを掲げていると言っていいように思う)
といのも「個人」を定義することは非常に難しいように思うからだ。「会社」であれば、「え、お宅はどういうことをされる会社で?」と言われたら答えられるようにしないと、信頼も得られない。しかし、これが「個人」となると話しは別だ。個人で「私のフィロソフィーはこちらです」と提示できる人はなかなかいないのではないだろうか。私は「個人」であればフィロソフィーが提示できない方が自然なように思う。
「個人」でフィロソフィーを掲げることへの躊躇い
ここで平野啓一郎の『私とは何か 「個人」から「分人」へ』を参照したい。この本の前書きにも書かれているが、日本語で「個人」という言葉が出てきたのは明治以降で、比較的最近の言葉である。「個人」とは英語のindividualの翻訳で、in+dividualという構成で、「(もうこれ以上)分けられない」という意味がある。しかし、平野は本当に個人は分けられないのだろうか?と疑問を呈する。どんな人と接するかで私たちの口調や表情、態度は変わる。しかし、それはあくまでキャラであって、「本当の自分」が核と存在していると私たちは考えている。そのため、他者と共に生きることは「ニセモノの自分」を生きるように感じがちだが、むしろ「本当の自分」がたった一つと考える方が間違いで、対人関係ごとに見せる複数の顔が全て「本当の自分」なのではないだろうかと平野は言う。そして対人関係ごとに見せる複数の自分を「分人」と平野は名付けている。
もう一つ参照したい。内田樹・池上六朗の『身体の言い分』である。この中で内田はどんな時でも自分らしさを貫き通す方がいいとされており、「どんな場面でも、同じ顔、同じ声で押し通すことがよいことであるという考え方のほうが、今ではコミュニケーションについては支配的なイデオロギー」であると指摘している。
本文を引用する。
これはね、非常によくないと思うんです。いいことなんか何もないですよ。ありとあらゆる場面で「自分らしさ」を貫徹するということは、「場の特殊性」というファクターをコミュニケーションに際して勘定に入れないということですからね。自分が向き合っている相手がどんな風に自分と違う立ち位置からのこの場を共有しているのか、という自他の「ずれ」を一切顧慮しないで、ひたすら「自分らしさ」なるものを押し出してゆくといのは、意図的に自分のコミュニケーション感受性を殺すことに等しいわけですよね。
内田樹・池上六朗『身体の言い分』
両者に共通することは「本当の自分」という確たるものはなく、他者との関係性の中でしか「自分」というものは浮かび上がらないということだ。
そういう点で「個人」名を掲げた事務所がフィロソフィーを掲げるのはこの建築家としての「自分」を固定化してしまうようで、無意識レベルで忌避してしまっているのではないだろうかと考えた。もちろん平野がいう「分人」の一人として、「建築家」のフィロソフィーを提示することは十分可能ではあると思う。HPに掲載するフィロソフィーがイコール建築家個人の人格には当たらないということも、大抵の閲覧者が了解することだとも思う。若林さんも建築家としての「人格」ではなく、あくまでフィロソフィーを掲げないのかという疑義であることは承知している。しかし、いざ「個人」の名を冠した上でそうしたものを掲げるのを躊躇うのは致し方ないようにも感じる。
「会社」であれば、ビジョンやフィロソフィーを固定化するのはそんなに難しいことではない。「会社」というのは誰でもないからだ。むしろ「会社」であれば、「個人」の顔が前面にでるわけではないので、集合としての共通認識がないと「会社」を維持することは難しいだろう。
フィロソフィーを明確に示すべきかどうかというのはここでは判断しないが、その会社の名前が「会社」名なのか、「個人」名なのかでそれを示すことへの困難さや必然性が変わるであろうということだけを指摘しておきたい。
ちなみに私が開業した設計事務所名は「シン設計室」だ。私の「個人」名は特に入っていない。ということは、今までの私の仮説によると私はフィロソフィーやビジョンを割と掲げやすい立場にあると言える。が、HPにはまだそのようなことは書いていない。準備中ということで今はご勘弁願いたい。