なぜ、私が所沢を拠点に選んだのか
今、絶賛整備中の私設図書館「シン図書館」のクラウドファンディングの準備中である。そのクラウドファンディングの応募文を書いている際に「建築家とは何か?」という文章も織り交ぜたのだが、文字数が多すぎてほぼ割愛した。
とはいえ、なぜ所沢を拠点としたのか、建築家とは何者なのかを改めて整理するきっかけとなった。今回はクラファンの応募文では割愛することになった文章を掲載した。
目次|Table of Contents
退職してから地元の所沢に戻った
私は大学時代に建築や家具、デザインについて学んだ。大学で建築の面白さに魅了され、将来は建築家になりたいと思い、大学を卒業してからは当時の憧れであった建築家の事務所の門戸を叩き、スタッフとして働き、修行を重ねてきた。その事務所では住宅や企業の社宅、世界遺産の休憩所を設計するなど多くの経験をさせてもらった。8年ほどその事務所で働き、2019年12月に退職した。
8年間割とハードに働いたこともあり、1年ほど休養しようと思い、東京で借りていた一人暮らしの賃貸物件を解約し、地元の埼玉県所沢市の実家に戻った。それが2020年1月で、日本もコロナで騒ぎ始めた頃だ。
私は生まれも育ちも埼玉県所沢市だが、典型的な「埼玉都民」だった。「埼玉都民」とは埼玉県から東京都区部に通勤・通学する者を指す俗語である。平成27年の国勢調査によると埼玉県は昼夜間人口比率が88.9%と日本で一番低く、15歳以上の就業者・通学者のうち、県外へ従業・通学している者は約106万人と神奈川県に次いで第2位となっている。
私は小学生の時に中学受験をしたことで、中学、高校、大学、職場は全て東京だった。所沢に住んでいても、東京へ通学、通勤することが当たり前で正にベッドタウンと呼ぶに相応しく、寝るためだけに家に帰るという生活をかれこれ20年近く続けてきた。
私は東京での生活が好きだった。映画館も美術館もいつでも行けて、いい感じの喫茶店もあり、友達にもすぐ会える。近所付き合いなど面倒なこともしなくていいし、誰も自分に構うことなどしないドライな感じが自分には合っていた。
逆に地元の所沢は子供の頃から好きではなかった。所沢の駅前の通り(下部写真参照)は全国どこにでもあるようなチェーン店が並び、ベッドタウンとしては住みやすい街なので、タワーマンションが乱立し、建築を学ぶ以前の幼い時から「地元ながらなんてイケていない風景なのだ」と目を逸らしたくなるというのが偽らざる本音だった。生粋の埼玉都民であった私は、友人や知人も東京住まいの人が多い。そうした人たちを地元に招くにしても、招ける場所がないので結局東京で会うことになる。自宅は人を招けるような状態でないので…と来客を招くことを躊躇する家庭はよくあると思うが、その拡大版で地元は人を招けるような状態ではないので…というのが、私が地元に抱いている認識だった。
地元に全く愛着を持たずに生活してきたが、退職を機に地元に戻り、地元で朝から晩まで24時間過ごすのは実に小学生以来のことだった。そんな中でコロナ渦となり、不要不急の移動をしないようにと叫ばれ、エッセンシャルワーカーにコロナ渦での負担が集中することで、自分が埼玉都民として東京へ移動し、生活することがとてもいびつなことのように思えた。
そして建築家とは
自分が開く建築設計事務所はなんとなく今までの生活の惰性で東京だろうとずっと思っていた。設計事務所で働いていたスタッフ時代には全国で色々なプロジェクトに携わり、そこでいつも考えていたことは「この建物を作ることでその場所にどんなインパクトを起こせるか?」ということだった。建築家と名乗るからには、規模に関わらずその建物を建てることの意義を考える。この建物を建てることで風景を作る、コミュニティーを作るというポジティブな場合もあれば、その建物を作ることでその場所の成り立ちを批評するという場合など様々な動機があると思う。
建築家ってなに?設計士と違うの?と疑問を持たれる方もいると思う。私自身建築家と名乗り始めたものの、建築家とはと明快に答えることは難しい。建築を設計している者の間でも「建築家と設計士は対して変わらない」という人は結構いる。建築家と名乗っている人でも「建築家」という肩書きや生業を毛嫌いする人もいる。
私が明快に答えられないので、代わりに私の師匠の師匠の言葉を借りたいと思う。私の建築の師匠は長谷川豪さんという建築家だ。その長谷川豪さんにももちろん師匠がおり、その師匠の一人が西沢大良さんだ。西沢大良さんが母校の高校生に宛てた『天職との出会い方』という文章の一部をご紹介したい。
建築家とは、いわゆる建築士免許(一級建築士・二級建築士・木造建築士)をもつ者のうち、前例のない建物をつくる少数の人々のことです。日本には建築家という免許がなく、建築士しかないため、 建築家と聞くと不審に思う人もいるようです。それは日本の免許制度(主要な免許を国家が発行し ていること)に思想がなく、そのことに慣れてしまっているからではないかと思います。 欧米圏では、もともと建築家の免許を発行するのは国家ではありません。国家よりも古い団体(建築家協会)が、建築家の免許を発行しています。その理由は、近代国家というのが当てにならない存在で、有害な側面を多分に持っているので(行き詰まるとすぐに戦争を始めて市民生活を脅かす、 等)、特定の職業(例えば建築家)については国家の干渉を受けないようにしておいた方が無難であ る、という社会的なコンセンサスがあるからです。欧米圏における建築家とは、国家でなく市民のために働く者のことで、むしろ国家が滅びた後も市民生活を続けるように施設を設計する者、というニュアンスです。
西沢大良『天職との出会い方』
西沢大良さんが説明する、国家ではなく市民のために働く、むしろ国家が滅びた後も市民生活を続けるように施設を設計する者が建築家であるという説明は非常に明快に建築家の職能を説明していると思う。これを読み替えると、数年、数十年どころか国家が滅びた後というぐらいの時間のスパンを持って設計する者が建築家であるということだと思う。
建築家はたとえ一件の住宅だったとしても、その住宅を建てたことによって浮かび上がるパースペクティブ(視点)を意識する。ただ3000万円の住宅をクライアントから受注して、それを建てたというだけでは建築家とは呼べない。
もう一つ参照したい。村上春樹の『職業としての小説家』だ。この本は非常に面白く、全ての文章において『職業としての建築家』と読み替えられるのではないかと思う。
極端な言い方をするなら、「小説家とは、不必要なことをあえて必要とする人種である」と定義できるかもしれません。
村上春樹『職業としての小説家』
しかし、小説家に言わせれば、そういう不必要なところ、回りくどい所にこそ真実・真理がしっかり潜んでいるのだということになります。なんだか、強弁しているみたいですが、小説家はおおむねそう信じて自分の仕事をしているのです。だから、「世の中にとって小説なんてなくたってかまわない」という意見があって当然ですし、それと同時に「世の中にはどうしても小説が必要なのだ」という意見もあって当然なのです。それは念頭に置く時間のスパンの取り方にもよりますし、世界を見る視野の枠の取り方にもよります。より正確に表現するなら、効率の良くない回りくどいものと、効率の良い機敏なものとが裏表になって、我々の住むこの世界が重層的に成り立っているわけです。どちらが欠けても(あるいは圧倒的劣勢になっても)、世界はおそらくいびつなものになってしまいます。
村上春樹も時間のスパンと表現しており、西沢大良さんと似たようなことをここでは書いているように思う。
私は大学でこの「回りくどい側」に憧れ、そして今実際「回りくどい側」の人間として建築家とわざわざ名乗り、活動を始めようとした。大学から通算するとかれこれ12年程度建築の設計について勉強してきて、実務を経てきたはずなのに、しかし、いざ自分の設計事務所を開こうとする時に地元の所沢はイケていないから東京でという感じが「あれ、これでいいのか?」と思わざるを得なかった。
地元で建築家としての活動を始める
地元の所沢は好きじゃない。今の所沢から所沢のパースペクティブを見るに、あまりいい方向に行く気がしない。先ほどの西沢大良さんの言葉を借りると市民のために働くのが建築家というのに、すでに問題は目に見えて表出しているはずの所沢に対して何もアクションを起こさず、所沢の街を見るたびに微妙な思いを抱き続けなければいけないのかと思った。
で、あればむしろ所沢で建築家として活動を始めた方が意義があるのでは?と思い始めた。色々回りくどく説明したが、とはいえ所沢で活動を始めようと思ったのは結構直感によるところも大きい。なんとなく、説明責任を果たせた方がいいかなと思い、こうした回りくどい説明を用意した。
分析したところは直覚にはならない、とベルグソンは言っているだけです。逆は真ではないと言っているだけです。分析から直覚に行く道はない。でも直覚から分析に行く道はあるんです。科学者も実はそれをやっているのです。
小林秀雄『学生との対話』
とりあえず、色々理由はあるようで、結構直感で地元で建築家としての活動を始めようと思い、その直感、直覚を頼りにこれから自分の活動を分析していこうと思う。
分析の第一歩
いざ、自分の設計事務所を始めるにしても、独立したての設計事務所は自宅の一室から仕事を始めることが可能だ。パソコン、プリンター程度があれば始めようと思えば始められる。
しかし、自分が所沢に対して抱く微妙な思いから所沢での開業を決めたというのに、誰にも認識されることのない賃貸の一室で設計活動を始めるのはちょっと違うよなと思い、地域の人が集えるような場所にして、私自身が市井を調査できるようにしたいと思った。
そうした理由で事務所を構える場所は重要だなと思い、所沢でこれぞと思えるような物件を探し始めた。また、同時にこうした私と同様の思いを抱く所沢市民は結構存在しているのでは?と思い、所沢の調査を始めた。探し始めると案の定私と同様に所沢に対して微妙な思いを抱きつつ、とりあえず自分の周辺から場を良くしていこうと活動されている方々の存在を知った。
私はそうした場所にいくつか赴き、実際活動されている方にお話しを聞くことができた。その場所の一つが西武池袋線「西所沢」駅から徒歩2、3分に位置する古書店「サタデーブックス」だった。こちらの古書店は大竹悠介さんという私と同世代の方が店主として週末だけ開店するお店だ。大竹さんは「郊外ならではの豊かなライススタイルの編集と発信をする」というコンセプトで本業のかたわら、週末は古書店の店主として活動されている。
自宅から近いということもあり、早速私は「サタデーブックス」を見に行くことにした。大竹さんに上記のような私の経緯を説明し、「所沢で設計事務所を開業しようとしていて、その物件を探している」と相談したところ、西所沢のエリアリノベーションに取り組む地元の不動産会社、吉祥リビングの岡川拓之社長を紹介していただき、さらに「実は隣の二部屋が空いていますよ」と教えてもらった。その場で空き部屋を見せてもらうと四畳半の部屋が二部屋で、一人で始めるにはちょうどいい感じの部屋だったので、すぐにそこを借りようと決意した。
後日、岡川さんに「サタデーブックス」の隣の空き部屋を借りて、1室は建築設計事務所、もう1室は図書館として借りたいと相談しにいった。私1人で活動を始めることもできるけど、すでに地域に根ざしている街の古書店「サタデーブックス」の隣に街の設計室「シン設計室」と街の図書館「シン図書館」を設けることで、小さいながらも3つの異なる施設を持った街の文化拠点としての推進力を増すことができないかと説明したところ、その場で快諾してもらった。こうした所沢で独自の活動をしている方々のご縁に支えてもらいながら、自分の活動を始めることができた。
なんで設計事務所だけでなく、図書館まで?
国家のためではなく、市民のために働くのが建築家という西沢大良さんの言葉を借りたものの、ただ受け身で市民からの要請を待つのもなんだかなぁと思い、まずは建築家として、また一所沢市民として、市井のために動くことができないかと思い、設計事務所の隣に図書館を設けることを考えた。
ずっと自分の身近な地域に対して我関せずというスタンスで所沢でも東京でも過ごしてきたので、少しでも地域に何かしらのインパクトを与えることはできないかと考え、その一つが自分の領域を街に開放するということだった。ここでは具体的に自分の所有物である本を街に開放することで、本という知的財産及び、またそれを読む場も開放することで少しずつお互いの共有財産を増やしていけないかと考えている。また、去年一年間無職という肩書きで休養した際に、何かをしないと世の中では「居る」ことが承認されない辛さを感じたこともあり、特に目的がなくとも安全地帯として「居る」ことを承認する場所にしたいとも考えた。
さらに詳しい図書館設立の動機に興味のある方は下記記事も読んでいただけると嬉しい。
「シン図書館」に置く本について
ちなみに私設図書館に置く本は私の私物だが、あえて取捨選択をしないでなるべくそのまま私の本棚を移したいと考えている。ちょっと難しい本や名著と呼ばれるもの、建築の本など、人に見せても恥ずかしくない本もあるが、「こんな本持っているのかー」と思われるのが嫌で人にわざわざ見せたくない本もある。でも、あえてそこはなるべく色んな世代や志向の人のフックになってもらう方が今は面白いかなと考えている。そもそも人間というのは一貫性だけを維持していくのは難しい生き物だと思うので、あえてその一貫性のなさを見せつつ、その中で発見する一貫性及び一貫性のなさを面白がって欲しい。そして、そこに本を読みに来る方の本も是非手に取り、読んでみたい。
「現実」というのは、言い換えれば、自分の目に映っている世界のことだろう。もちろん、一人の人間が自分で経験することで直接見たり知ったりできることは、ごく限られている。書物が持つ機能の一つは、「他者」というものを通して自分の世界を広げていくこと、あるいは世界を見る見方を多様にしていくことにある。例えば、もし私がソシュールを知らなかったら、言語を見る見方も、人が言葉を使っているのを見る見方もずいぶん違うものになっていたはずだ。だとすれば、思想が、そして書物が「現実」と向き合うとは、他者を通して自分の目に映っている世界が少なくとも一部は壊され、その先に新たな世界の見え方、多様な世界の見え方を探っていくこと、ではないだろうか。
國分功一郎・互盛央『いつもそばには本があった』
私はめちゃくちゃ読書家というわけではないが、ひとまず今までの人生で読んだ本によって救われたり、ときめいたり、傷つけられたり、世界を壊される経験をしてきた。そうした経験を踏まえ、いつもそばに本があって良かったなあと思っている。そうしたいつもそばにあった本たちを他の人にとっても何かの寄る辺になればと思う。我ながら系統立てて本が読めないことにコンプレックスを感じつつも、だからこそどれか一冊ぐらいはどんな方にも引っかかりのある本に出会えるかなと思う。
置く予定の本(というか現状の私の本棚)には無駄に世界文学全集とか、日本の歴史全集とか、小林秀雄全集などがある。さらにはメイク本や漫画などもある。建築家らしく建築の作品集や雑誌、展覧会の図録などもある。そうした雑多な一人の興味、関心、現実を覗きにぜひ「シン図書館」に遊びに来て欲しい。
オープンは四月を予定している。HPやインスタ、ツイッターなどでオープンのお知らせやクラファン実施などを告知する予定なので、よければチェックして頂けるとありがたい。